最後に、新市民会館整備計画について伺います。

計画の見直しをもとめて新たな署名活動に取り組んでいる市民の会のみなさんも、わたしたちも、市民会館の建設に反対しているのではありません。市民会館が使えなくなって6年、多くの方が、場所探し、会場探しに困っており、以前のように使える市民会館の再建を待ち望んでいます。ムダに大きく莫大な税金をつぎ込む市民会館ではなく、一日も早く、市民が望む市民会館が建設されることをもとめて、質問をいたします。

まず、市街地再開発事業について伺います。

立地や規模、駐車場や渋滞問題、多額の事業費など、様々な問題点は、そもそも計画のスタートが、市民のための文化施設をつくるという発想ではなく、泉町の再開発事業ありきで、そのためにこじつけているところから生じているものです。これが再開発事業でなければ、建物を容積率いっぱいにつくる必要もなく、例えば敷地内に駐車場をつくる選択肢もあるわけです。

水戸市は、これまで何度も再開発の失敗を繰り返してきました。先日のブラタモリを見た方も多いでしょうが、水戸藩精神=あるものを最大限に活用する=という水戸人の心意気が泣いています。そこにあるものをわざわざ全部壊して、大きなビルを建てるという手法が、水戸らしいまちなみを壊してきたものと考えます。

泉町1丁目北地区は、採算のメドが立たずに、長年、頓挫していた計画が、突然、市民会館整備事業として動き出したものです。まるまる公金頼みのこの再開発は、いったい誰のためなのでしょう。

市民会館の建設場所は、他にも選択肢がありました。わざわざ一番お金のかかる泉町に持ってきたのは、市民のためではなく、伊勢甚のためではないかと考えるのは至極当然ではないでしょうか。そこで伺います。まちの真ん中で、旧京成デパートを、長年、空きビルにしたまま放置している伊勢甚に、解体費も税金で賄い、多額の移転補償を補助することになりますが、同じように、撤退をしたまちなかの商業施設は、ダイエーもユニーもリヴィンもサントピアも、事業者の責任で、解体・撤去し更地にして売っています。

なぜ伊勢甚だけは水戸市の税金で面倒を見てもらえるのか、なにか特別な事情があるのではないかと、市民の疑問はつきませんが、その点をご説明ください。

また、再開発組合の設立はいつ頃になるのでしょうか。一般的に、再開発事業は権利変換計画がなかなか進まず、時間がかかるものです。水戸市でも大工町の再開発では14年以上もかかっています。市の見込んでいる計画通りに進むのでしょうか。計画に反対している地権者もいらっしゃるとのことですが、その方たちを強制的に排除するつもりなのでしょうか、伺います。

このように用地の確保のためだけに、長い時間と莫大な事業費がかかり、市民の理解も得られない再開発事業ではなく、市民会館は、市有地や安く取得できる土地に、十分な駐車場と交通網の不備を起こさない動線を確保し、市民の理解を得て、市民に愛される施設として整備すべきです。

これからの時代、まちの活力をとりもどせるのは、再開発よりリノベーションであり、まさに、あるものを最大限に活用する水戸藩精神です。今、集客力がのぞめる公共施設は図書館だといわれています。市として、真剣に泉町の活性化を考えるなら、再開発の失敗をくりかえすのではなく、例えば、伊勢甚の空きビルを図書館にするなど、将来への可能性や希望のある選択肢はあるはずです。まちなかの衰退を招く再開発ありきの現計画は見直すべきですが、いかがですか。

答弁≪建設部長≫

泉町1丁目北地区市街地再開発事業についてお答えいたします。

初めに,特定の企業が所有する建物の解体についての御質問でございますが,ご指摘のリヴィン等の状況につきましては、それぞれ個別の事情により現在の状態となっているものと推量されるところであります。泉町1丁目北地区においては,かねてより大部分の地権者の総意と本市まちづくりの観点から,法に基づく市街地再開発事業として実施することを市総合計画に位置付け,都市再開発法や関係法令等に基づき,推進してきたところであります。市街地再開発事業は,従前の状況を客観的にとらえた上で,全ての権利者に対し,公平・公正に進められるものであり,特定企業を優遇するものとはなっておりません。

次に,再開発組合の設立につきましては,さる2月23日に権利者を対象とした組合設立に向けての説明会が準備組合により開催されたところであります。なお,都市再開発法の組合設立の要件としましては,地権者5人以上の設立発起人による申請並びに地権者数及び宅地面積の3分の2以上の同意を要することとされており,

本市としましては,法に従い適切に手続きを進めてまいります。

次に,新市民会館ではまちの活性化につながらないとの御意見につきましては,日常的に市民の文化・芸術活動の拠点として多くの交流が創出できるものと確信しております。